株式会社すまいる情報新浦安
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 〜 こんな気持ちで仕事しています 〜
専務 竹内の 毎日が好日 
(2008年11月更新)

 呼吸(いき)が合った瞬間

        
  
 
 森信三さんの有名な言葉で「人生、出会うべき人には必ず出会う。
しかも、一瞬遅からず早からず」があります。
老若男女を問わず、多くの方が人生の運命的な出会い、恩人の出現、
その後の方向を決めることになった人との出会いに引用されています。

私自身、そのような体験が数多くあり、お客様との出会いも、会って間もないのに、「言わずとも分かり合える」、相手がして欲しいことと、こちらがすることとがピタッと合い、まさに呼吸が合った瞬間の嬉しさを何度も味わってきました。
でも、宿命で片付けてしまうことに「ちょっと違う気がする」と常々思っていました。どうして、ピタッと合うべき時に会えたように思うのだろうと、何となくモヤモヤしていました。そんな時、さらっと見過ごしていた森信三さんの続きの言葉で腑に落ちました。
「しかし、内に求める心がなければ、目前にその人が居ても、縁は生じない」
ドラマチックな冒頭の前段は語られることが多いのですが、語られることの少ない後段のほうが本当に言いたかったことなのではないかと思いました。
こういう人と会いたい、こういう仕事がしたい、こうなって欲しい、という「願望」が先に強くあって、それが出会った後にピタッと出会ったように感じたのだと理解するようになりました。
そのように考えて振り返ってみると、終の棲家探しを託してくださったシニア夫婦、アドバイス通りに方向転換してくださった若い夫婦、人生最後の財産処分を、あ・うんの呼吸で任せてくださったお祖父様、お祖母様・・・。それぞれが、こんな方にこんなお手伝いをしたい、こうなって欲しいと日ごろ、願望していた通りでした。『偶然と錯覚』からの呼吸の合った出会いをもっと得られるという『可能性』につながって、とても元気が出てきました。

森信三さんには、腰を立てろとか、一度に二つの物を口に入れるな、とか、いまだに、時々、躾られているダメな大人の私ですが、これからも強く、たくさん願望を持っていきたいと思います。
あなた様の願望と、偶然のようにどこかで出会えて、呼吸の合った瞬間を味わい、喜び合えることを切に願っています。



                                        2008年 11月

●呼吸の合った後日談●
新緑号『居は気を移して』で、92歳のおばあ様が住み替えで元気になった、という話を書きました。この方とも呼吸が合った住み替えで、かなりの難事を乗り越えられたのですが、この9月に同居されていた娘さんから電話があり、お亡くなりになったことを知りました。97歳でした。
息を引き取る直前まで「ここに来て幸せだった」といい続けていたそうです。最後は、病院に入りましたが、あの家に帰りたい、帰りたいと、お医者さんの許可をもらって、家に戻してもらったとのことでした。これもここでしあわせにな一生を過ごして欲しいというこちらの願いが叶ったようで、お線香をあげながら、遺影に向かって「良かったですね。私も幸せです。」と心の中で声をかけさせて頂きました。
                                        

 〜 こんな気持ちで仕事しています 〜
専務 竹内の 毎日が好日 
(2008年9月更新)

  自分の『花』を演じる

        
  
 
 長野に住む敬愛する作家の丸山健二さんは、庭作りでも有名です。
「荒野の庭」という写真と詩文の著書の一節に
白い花を演じられるのは白い花だけ
赤い花を演じられるのは赤い花だけ
自分を演じられるのは自分だけ

という言葉があります。つい自分を他人と比較して見失いがちになったり、私には中学生の娘がいますが、何か言うときだけ他と比較して小言を言ってしまったとき「いかん、いかん」と自戒するたびに思い出します。
 私たちの会社に来られるお客様を見てみますと、一見、似たような生活サイクルで、住まいに関するご要望も同じようなケースがよくあります。例えば、40代のご家族が子どもの成長で広い家を求めている、というようなことです。でもそこには、同じように見えても、子どもの躾に手を焼いているAさん、であったり、個室を与えて閉じこもったりしないか心配しているBさんだったり、背景が微妙に違っています。お客様が、また、そのご家族が、白い花だったらより白い花らしくあるように、そのちょっとした違いに上手く対応できてお役に立ったときは、望外の喜びを感じます。
 冒頭の詩文は、
当然至極の事実が胸を打つ
と続きます。詩文の主旨は、自分を生き切れ、というエールだと思いますが、こんな当然至極の事に胸を打たれるくらい、自分らしく生きるのは難しいことなのですね。さらに相手の方の色を見極めるのはもっと難しいかもしれません。でも、大きな喜びのためにはチャンレンジしがいのあることと、これからもお客様とコミュニケーションをとりながら仕事を進めて行きたいと思います。

                                        2008年 9月

前回の「最後だとわかっていたなら」に多数のお便りをいただきました。折しも9.11に合わせてニューヨークに行く機会がありましたので、テロの現場であるグランドゼロを訪ねてきました。再開発が進行中ですが、スムーズには進んでいないようです。犠牲者の家族・関係者は「できれば何も建てないでそのままにして欲しい」という気持ちの方も多いようです。全く新しいビルが出来て、事件や自分たちの家族の記憶が風化してしまうのに耐えられない気持ちだと聞きました。「ご破算で願いまして」にならないような再開発の方法は難しいのだと思いますが、ぜひ英知を結集してそのような開発がされんことを、と、現地のクレーン車を見て思いました。
                                        
  

「最後だとわかっていたなら」
〜お盆の季節、亡き親族、知人を偲ぶ季節に思うこと〜

        

 冒頭の言葉は、7年前の9・11アメリカ同時多発テロの後、世界中に勝手なメールの形で広まった詩の題名です。この詩は、池で溺れた子供を助けようとして、自身が溺れて亡くなってしまった10歳の男の子の母親の慟哭を綴ったものですが、9・11で「声をかける間もなく」突然に近親者や友人を失ってしまった人の心情そのものだったので、反響を呼び、版権無視で世界中に広まったそうです。
 
折しもお盆の季節、亡くなられたご親族や友人、知人を偲ぶ季節ですね。もし、会えるのが、声を聞けるのが、これで最後とわかっていたなら、何と声をかけただろう、どのように接しただろう・・・。この詩はそんなことを考えるきっかけになりました。
 
私の亡父の場合は、待機室から病室に入れてもらい、心電図がすーっと蝋燭の最後のように消える間、わずかの時間ですが看取ることが出来ましたので幸せだったと思います。その二、三分間、父の手を握って、思いつく限り、ありったけのお礼を心の中で言いました。
 「自転車の乗り方を教えてくれてありがとう」
 「孫の自慢を町中に言ってくれてありがとう」
 「中学生になったその日から大人扱いしてくれてありがとう」
 「結婚式で泣いてくれてありがとう」
 「野菜を送ってくれてありがとう」
・・・20くらいで幕切れとなりましたが、握った手の感触で伝わったような気がしました。

 私もそうですが、多くの方が、明日も同じようにあると思っていて、突然ということは考えてないと思います。何かと不安な事件も多発している現在、そうとも言い切れなくなってきましたが、もう会えないかもしれないと思うと、やはり最後の言葉は、「ありがとう」というお礼になるのかな、と思います。自分の娘に「急に優しくなってどうしたの?」といぶかしがられかねませんが、あちこち感謝にあふれた社会になれば、暮らしやすくなると思います。一期一会という言葉にも通じますが、すべての出会い、ご縁が意味のあることだと思いますと、私たちもお会いした一瞬一瞬を大事にする気持ちを強く持ちたい、小さなことにも感謝できるようになりたいと思います。
 
この夏、ご旅行や、またお仕事の方もいらっしゃると思いますが、ご健康に過ごされますようお祈りし、暑中お見舞い申し上げます。
                                           2008年 7月
  

「居は気を移し」て、元気になった

        
この春は、子育てのために住宅探しをする方がたくさんご来店されました。何とか子供に良い環境を、という親御さんの願いに応えたいと力が入り、「どんな性格のお子さんかな?」「どんな風に育てたいのかな」などと、こちらの質問も問診みたいになってきます。引っ込み思案?それとも人見知りしないお子さん?個室を与えるのか、居間で家族みんなでワイワイがいいのか、だんだんと感情移入してきて、自分も家族の一員とまではいきませんが、遠い新戚くらいの気持ちになってきます。

 この時期は、子供の人間形成のために「ここは良くない場所だ」と三度引越しをしたという「孟母三遷」の話が思い浮かびます。孟子は紀元前四世紀の人ですから、2000年以上昔から、変わらない親心なんですね。かく言う私の父も猛烈な「三遷」派でした。小学校に入る前に三回、中学を出るまでに三回引っ越しました。当時は、せっかくできた友達と別れることになり、随分恨めしく思ったものですが、今となっては仕事を変えてまで私たち子供のことを思ってくれたのかと、その本気の愛情をしみじみ実感します。そう思うと、私共も「お子さんの故郷を作るお手伝いをしているんだ」と充実した気持ちになります。

 ところで孟子には「居は気を移し、養は体を移す」という言葉もあるようです。(摘み読みなのでアヤフヤですが・・・)。転居を機に「子供が活発になった」「兄弟が仲良くなった」「家族で話すことが増えた」などと後でお聞きすると、喜びもひとしおです。家のあり方によって、人間の気は変わるものだと実感します。

 お年寄りの転居にはより一層気を遣います。家がバリアフリーなら良い訳ではなくて、お友達と離れる孤独とか、景色や回りのたたずまいなども「元気」に影響してくるからです。
 こんな一例もありました。92歳のお祖母様と同居するご家族の住み替えをお手伝いしたときのことです。冬でした。古い一戸建ての居間にお祖母様のベッドを置き、寒いのでストーブをがんがん焚いて、締め切ったカーテンの中、ほぼ一日中そこで寝ていました。「ここで死にたくない」というお祖母様の希望で、ご家族が不安の中、新築マンションへの住み替え計画を実行しました。私は「引越しで余計具合が悪くなっていたら嫌だな。そんな事がなければいいが・・・」と若干不安な気持ちで新居への引越しのお祝いに伺いました。
 中に入ると、そこにはお祖母様がきちんと洋服を着てソファに座っていました。そして、何枚かの絵を見せてくださいました。「引っ越してきてから描いたのよ」とのことでした。戦前、教師をしていたお祖母様は絵心があり、新居の七階の窓から見える風景、とりわけ電車が往来する景色がとても気に入り、絵を描き出したそうです。暗い室内で臥せっていた姿しか記憶にないので、私はその元気になった姿に感動を覚えました。学問的なことはわかりませんが、転居が気を養ったことは間違いありません。

 お子さんのために引っ越す、親のために引っ越す、いずれにしても、住まいと環境は底知れない力を持っている、そのように思うと、私たちの仕事に誇りと、また軽々しくできないという謙虚な気持ちが湧いてきます。いい人が住む、いい街にどんどんなるように、単純ですが、少しでもそのことでお役に立っていきたいと思っています。
                                           2008年 5月
  
「使われなかった人生」に想う
 卒業・進学、退職・入社・・・
新たな人生の岐路、門出の3月に想うこと

       
 いまここにある自分の人生でなく、ほんのちょっとした決断や選択で、手に入れられなかった人生・・・。もう一つの可能性としてあったかもしれない「使われなかった人生」。卒業・進学、退職・入社など、新たな人生の岐路、門出の時期になると、沢木耕太郎さんの ”世界は「使われなかった人生」であふれている” という著書名を思い出します。
 19世紀最大といわれるイギリスの科学者ファラデーは、貧しい鍛冶職人の子どもとして生まれ、小学校を出ると製本職人の見習いに出されました。そこで科学の実験道具をスケッチしているうちに、そのスケッチの見事さに感心した人から子供向けの科学講演の券をもらいました。その講演を記録したファラデーのノートが素晴らしかったために、その講演をした科学者に見出され助手として雇われ、そしてファラデーの法則などのその後の大発見へと至ったそうです。これらの一つ一つが縁とも言えますし、もしそれがなかったらファラデーは市井の人として人生を閉じたかも知れません。
 私の父は、成績が優秀だったらしいのですが、昭和恐慌と10人の弟妹のために小学校卒業で働くことになり、市井の人として一生を終えました。中学校に行っていたら違っていたかもしれない父の「使われなかった人生」はどんなものだったろう、お客様に対応するときにもそんな思いを馳せます。いま、目の前に現れているお客様の辿ってきた「縁」、さまざまな岐路、人生の節目で選んできた道、そして、その道の途上で出会えたことは、大変な確率だったと思えます。使われなかった人生の道のほうでしたら、出会っていなかったかもしれないと思いますと、商売よりもまず先に、何をして差し上げるために出会ったのかを考えるようになりました。
 新たな人生の岐路、門出に際して、家の選択、住み替えにも、同様に「選択しなかった家」があります。我々は、岐路、選択に際して「そっと背中を押してあげる」ことも時にあります。もしあっちの家だったら・・・ということを十分想像して、やっぱりこっちだと思う方でそっと手を添えられる、そんな仕事をしたいと願っています。
 春、住宅・不動産という仕事を通して人生の節目に立ち会えることの喜びを感じる季節です。本当に出会えてよかった、という会社になれるにはまだまだ高い嶺ですが、喜びながら上って行きたいと思います。貴方様の進む先の道に、春の花が咲き誇っていますようお祈り申し上げます。

                                           2008年 3月
  
  「幸せ気分で」 〜新年に寄せて〜

先日、毎年末の恒例の人間ドッグに行って来ました。私の場合は、健康管理というより、自分の在りたいように生きているかどうかのチェックに行っているようなものです。自分が自分でない(在りたい自分でない)時には、体や内臓に必ず現れます。歳とともに、段々責任の重い立場になり、睡眠時間は減り、お酒は増え(これは余計?)、ストレスが多くなる・・・はずが、私の場合は、若い時よりピカピカになってきているそうで、「面白いですね〜」とお医者様に言われました。自分でもかなり不摂生のほうだと思いますが、自分が在りたいように在るからストレスがほとんどない、と自分で結論づけました。

成功のためには苦労して嫌な事も行い、その結果掴んだ富で自由気ままに楽しむ、という考え方もあります。若い頃の自分もそう考えていた時期がありました。しかし、さる先生から、幸せ気分で(楽しんで、喜んで)仕事をして結果利益を得たほうが自分らしく生きられる、と教えられました。なるほど、目的を得るための手段と考えては、人生の半分も自分らしくない時間を費やすのは勿体無い、と合理的に考えても納得しました。それが人間ドックの面白い結果となって現れてきているのだろうと思います。友人には「おまえは単純だからいいよな〜」と言われているのですが・・・

幸せ気分で仕事や生活をするとは、どのようにしたらいいのだろう?プラス思考で無理やりそう思うのは続かない。そんな時「随喜功徳(ずいきくどく)」という言葉を思い出しました。人がうまく行って喜んでいる姿を見て、我が事のように一緒に喜ぶと、自分がうまく行ったのと同じ効果がある、という意味だそうです。私どもとご縁があったお客様が「本当にいい家を手に入れられた」「相続のことは大変だったけどとても助かった」「子供が一番喜んで明るくなりました」などの喜んでいらっしゃる姿を、わが事のように喜べる時、とても幸せ気分になります。お客様と喜びを共有できた時、自分達の仕事に誇りを感じます。まだまだ足りないところはたくさんある、でも、在るがままの自分を誇らしく思うと、もっとお客様の気持ちを理解したいという思いにつながってきます。

一年に何遍も何遍も、嬉しいことが自分に起こったと思うと、なんて有難い仕事なんだろうと思います。今年も、幸せ気分でご縁ある方のお手伝いをさせていただき、その喜びを自分のこととして、私どもも喜びにあふれた一年にしたいと思います。

あなた様にとって嬉しい事にあふれた一年でありますよう、お祈り申し上げます。

                                           2008年 1月
  
  〜代々初代

先日、福島県の郡山に企業研修に行って参りました。
帰りに是非訪ねてみたいと思っていた薄皮饅頭の老舗「柏屋」さんに立寄りました。有名なのでご存知の方も多いと思いますが、児童詩集を50年近く出している饅頭屋さんです。

なぜ立寄りたかったのかと言いますと、こちらのお店の会社方針が「代々初代」ということを随分と前に教えていただいていたからです。経営者が代わるのは、会社として一番つらい、倒産してもおかしくない時期にしているそうです。先の戦争が終了して材料の砂糖や小豆が全く入ってこない時、大洪水で倉庫が全滅して饅頭を作ることも売ることも出来ない時、そんなタイミングで経営者を変える話を聞き、大変感銘を受け私たちの会社にとっても大いに示唆を受けました。

代々初代のことで思い出すお取引があります。
数年前、90歳のピアニストのお家を売却するお世話をしました。戦前、音大を主席で卒業した方で、その後有名な歌手の伴奏などもしていたそうです。家にはグランドピアノ2台、モーツァルトのレコードや譜面が多数ありました。奥様の故郷でのんびり過ごそうと思っていた矢先、奥様を亡くされ、お子さんはいませんでしたので、それからは一人住まい、今回医療老人ホームへ入る資金を捻出するための売却でした。

ホームの三畳ほどの部屋ではピアノをはじめほとんど物は持っていけません。奥様と50年近く2人で暮らした家を処分する、ピアノも他のものも。ことは急を要しますが、人が生きてきた痕跡を処分する、その気持ちを考えると、厳しいアドバイスも萎えがちになりました。

その時「代々初代」という言葉が浮かんできました。毎日が生まれ変わること、生まれたときの裸一つで“終演”に向かってゆくこと、私の内面的には祝福すべきこと、という納得のさせ方でお世話し、お客様にはとても喜ばれ、私も救われた気持ちになりました。

製造メーカーではない私たちの場合は物理的な危機が訪れる機会は少ないかもしれません。では私たちの仕事にとって一番大事なことは何かと考えますと、それは「人の気持ち」が相手であることだと思います。毎日変わる「お客様の事情」「気持ち」「希望や夢」に敏感になって対応することです。

私たちは、手馴れた仕事に留まることなく、毎日が初代の気持ちで対応できるように目指していきたいと思います。今までのご縁を大切にしつつ、以前とご事情も変わっているであろうお客様と、よく話し込み、お役に立っていきます。

ぜひ、ついでの折でも私共のお店にお立寄り下さい。そしてざっくばらんに、貴方様のこれからのご希望を伺いたいと願っています。
                                           2007年秋
  
  
〜あなたに褒められたくて


こんにちは、はじめまして。この6月から新浦安支店長として参りました竹内健二です。今回は自己紹介も兼ねまして、すまいる情報新浦安をどんな会社にしたいか、少し思いを書かせていただきます。


私の大好きな俳優、高倉健さんのエッセイに「あなたに褒められたくて」という、とてもいい本があります。「あなた」というのはお母さんのことです。健さんは、お母さんが亡くなった時、火葬場でお骨をかじったくらいですから、お母さんに対する気持ちの深さは相当なものです。

私の母は今年85歳、故郷に一人暮らししていて今でも饅頭屋さんで働いています。私にとって母は、菩薩のような人です。何せ生まれてから一度も怒られたり叱られたことがないのです。何をしても「偉いねえ」と言ってくれ、悪さをした時でも「健ちゃん(私も健です)にもそうしたかった理由があったんだね。」という具合です。反対に亡父はスパルタでした。でも愛情から出たスパルタなので今でもとても有り難く思っています。

私にとっても「あなたに褒められたくて」は母そのものです。小学校から帰るや否や、母が仕事から戻ってくる前に大急ぎで洗い物して帰ってきた母がびっくりするのを見て嬉しくなったり、漢字があまり読めない母に新聞を読んであげるために漢字を覚えたり(おかげで小学校は六年間国語はオール5を通でした)、そんな毎日でした。

そんなことで、子供のころから人を喜ばすことが好きで習慣になりました。「喜んでもらう」というと殊勝でまじめ過ぎるかもしれません。喜ばす、びっくりさせる、の方がぴったり来るような気がします。そして、一歩進んで「褒められる」ような関わりをしたいというのがいまの願いです。現金を配ればどなたにも「喜んで」もらえますが、褒められることはありません。ですから、喜ばれることから一歩進んで、褒められるようにしたいのです。

すまいる情報新浦安では、「あなた」は「ご縁が出来たお客様」にあたります。あなたに褒められたくては、お客様に「さすがだね、安心して任せられるよ、もっと頑張ってね」と褒めていただけることです。すまいる情報新浦安を、そのような会社にしたい、そう考えて少しでも近づけるよう、毎日頭と体を働かせて参ります。そのためには、お得意様からのどのような苦言も喜んで頂戴したいと思っています。一生、完成を目指しながら未完成のままだと思います。完成に向けて進んで行く途上を、皆様と共に喜び、また悲しみ、ほんの一部分かもしれませんが、仕事を通してご一緒させていただきたい気持ちでいっぱいです。

これからも、お役に立ちそうな事をこの紙面を通じて、また直接お伝えして参ります。どうぞ、これからもすまいる情報新浦安を応援していただけますよう、お願い申し上げます。ありがとうございました。
                                          2007年夏
すまいる情報 新浦安支店長 竹内健二

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